生はちみつの真実と誤解
※この記事は2019年に俵養蜂場ライブラリー向けに作成されたものです。内容や表記については当時の状況に基づいたものであり、現在と異なる場合がございますのでご了承ください。
生(なま)はちみつとは?
海外特に米国や英国で Raw Honey と呼ばれるはちみつがよく売られています。
我が国でも「生はちみつ」として、Amazon や楽天の他、アフィリエイトと言う新しい広告媒体を通じてネット販売をする業者が増えています。しかし、「生とは何か?」の定義が示されておらず、「生でなければどう栄養価値が下がるのか?」について科学的な説明が不十分なままに「生はちみつ」の言葉が一人歩きしているように見えます。
なかには電動ではなく手回しの遠心分離機で採ったはちみつが、あるいは巣枠から自然に落下させた「垂れ蜜」こそが「生」であるとか、荒唐無稽なサイトまであります。大型の電動分離機からは幼虫が振り出され、はちみつに混ざると言うのです。事実はまったく逆で、手回しの分離機こそがそうなるのです。いずれにせよはちみつは採蜜現場で粗漉しされてから缶に収められるので,幼虫は 1 匹も入りません。率直に言って、よほど養蜂に無知でなければ書けないようなことが書かれています。
問題は一部の業者が、他社のはちみつはすべて栄養価値が劣るかのように誹謗中傷している点にあります。「他社のはちみつはすべて加熱し濃縮してあり、重要な栄養素が破壊されている」と言うのです。しかし、下線部は明らかに事実と異なります。養蜂家が春から秋までに販売するはちみつは、大半が液体の「生」です。もっとも気温が下がればふつうはちみつは結晶します。(その時期は蜜源の種類によって差があります。)
養蜂家はビンに詰める前にこれを加熱して溶かしますが、風味を損なわないように、できるだけ低温での溶解に努めています。また経験豊富な養蜂家が、後日濃縮しなければならないような低濃度のはちみつを採取することはまずありません。
『本当のはちみつの見分け方』などと言うコラムで、自社製品だけが本物であると主張しつつ他社を誹謗中傷することは、不正競争防止法に違反する立派な犯罪です。
実はこれらの「生はちみつ」ネット販売サイトにほぼ共通している文言があります。
「はちみつは加熱するとビタミン類・酵素・ミネラル成分が破壊され、はちみつの栄養価値が失われる。」と言うものです。はちみつには数百種を超える色々な物質が含まれていて、たしかに加熱されれば失われる成分もあります。しかし、加熱の影響を受けない成分や、もともと評価に値するほど含まれていない成分もあります。(※図1)
販売戦略として「生はちみつ」の効能が過剰に宣伝されている一方で,はちみつが本来持つ優れた機能が忘れられていることは残念です。栄養学は私の専門ではありませんが、生産者の立場から「生はちみつ」の意味とその価値を考えてみました。専門家諸兄のご意見を期待します。
※Honey; Chemical composition, stability and Authenticity, Food Chemistry 196 – 2016 より和訳、ミネラルについて追記加工
(Fig.2. compounds present in honey, the processes that influence the stability of honey, degradation products and secondary reactions that may occur.)
ビタミン類
まず、はちみつには脂質がほぼ 0 で、脂溶性のビタミン群は含まれません。ビタミン A やD などは他の食品から摂取しなければなりません。水溶性の B 群(B1・B2・B6・B12・ナイアシン・葉酸)や C などはバランスよく含まれています。その中で特に熱に弱いのは B1と葉酸です。しかし、いずれもはちみつ中の含有量は少なく、これらを多く含む食品のランキング 100 位にも入りません。毎日大量のはちみつを食べない限り、必要量はまかなえません。非加熱であろうとなかろうと、通常甘味料として少量が食べられるはちみつから、人が毎日必要とするビタミン類が充分補給できると考えるのは誤りです。加熱によるビタミン類の減少が過大に重視されるべきではないと思います。
酵素類
ミツバチの唾液にはインベルターゼ・アミラーゼ・グルコースオキシダーゼなどの酵素が存在します。酵素は極微量で化学反応を引き起こす触媒の働きをする蛋白質です。ミツバチが集めた花の蜜は水分の多い砂糖水(ショ糖=二糖類)のようなものです。
これが蜂から蜂へ口移しされる間に果糖とブドウ糖(単糖類)に分解され、50〜60%あった水分は 20%以下に落ちます。これがはちみつであって彼らの保存食になります。
ミツバチはその重要な加工のためにこれらの消化酵素を分泌するのです。
単糖として貯蔵されたハチミツは、酵素の分泌がまだ不十分な若い蜂も、カロリー源として利用することができます。群の維持にも重要な意味を持つ化学変化なのです。
この間、ブドウ糖はグルコースオキシダーゼによってグルコノラクトンに変わり、グルコノラクトンは加水分解によってグルコン酸になります。グルコン酸は小腸ではあまり吸収されず、大腸に達してビフィズス菌を増殖させる働きが注目されています。
グルコノラクトンは特にはちみつに多く含まれ、はちみつ酸とも呼ばれます。はちみつを傷に塗ると細菌感染を防ぎ,治癒を早めることが古くから知られています。患部を湿潤に保ち栄養を補給することで、壊死組織の剥離脱落とその再生を早めるためです。また糖度の高いはちみつの中で眠っていたグルコースオキシダーゼは、傷からの浸出液で薄められて活性を回復し、上記の反応に伴ってはちみつの表面で空気中の酸素を還元し過酸化水素を発生させます。過酸化水素は細菌感染を防いで患部の治癒を助けます。したがって、そのために使われるはちみつは、酵素が生きている非加熱の方が良いことは間違いないと思われます。しかし、食品として人が食べる場合は事情が異なります。
酵素類は熱によって変性しやすい蛋白質で、ちなみにインベルターゼは40℃以上で不活化します。これらの酵素は、はちみつができる過程でその役割をほぼ終えています。
花蜜のショ糖はそれ以上消化を必要としない果糖・ブドウ糖に、さらにその一部はその糖分解の過程で有機酸に変わっていて、それ以上酵素に期待すべきことはありません。はちみつは消化が終わり吸収を待つだけの食品です。非加熱であろうとなかろうと、そもそも蛋白質である酵素は、胃液、膵液、腸液に含まれる各蛋白質消化酵素によって順に分解され、最後に小腸でアミノ酸になりますが、微量すぎて栄養にはなりません。
一方、ショ糖や他の炭水化物の消化のためには、人の唾液には多くのアミラーゼやインベルターゼが含まれています。はちみつ中の微量の酵素に頼る必要はありません。
ミネラル類
はちみつには、希少なミネラルを含め 10 数種のミネラルが含まれています。ただし、ミネラルの種類と成分比は蜜源花の種類と産地(土壌成分)によって大きく変わります。共通して多いのはカリウムで,カルシウム・ナトリウム・マグネシウムが続きます。
栗のはちみつには特にカリウムが、ソバには鉄分が多く含まれます。変わり種は南西諸島のフカの木のはちみつで、亜鉛が多く含まれ苦くて食べられないほどです。はちみつに含まれるミネラル類は、イオン化しているので吸収が良いと言われます。
さて、加熱されるとこれらのミネラルはどうなるでしょうか? 結晶を溶かす程度の加熱では何も変わりません。ミネラルまで失われるかのような宣伝広告は問題ありです。
芳香成分
はちみつの中には、テルペン・アルデヒド・ケトン(カルボニル化合物類)、有機酸の他、エステル化した様々な揮発性の芳香成分が,少なくとも 50 種以上含まれていると言われます。これらの成分は花の種類によってその構成が異なります。そのことによって、各々のはちみつ特有の風味がもたらされるのです。
採蜜現場で味わうはちみつには、究極の生はちみつの風味があります。加熱や保存中の変化によって失われやすい芳香成分は、この時には 100%残っているからです。はちみつが加熱によって最も大きく影響を受ける要素だと思われます。
その他の有用物質
はちみつの中には、1g 中数万以上のミツロウ片、花粉やプロポリスなどの微粒子が混ざっています。それらにはビタミン類やミネラルの他、多くのポリフェノール(フェノール酸・フラボノイド)など抗酸化物質や抗菌性の物質が含まれていて、病気に対する免疫力を高める効果が期待できます。しかし、それらが経口摂取された後に、体内でどう機能するかについての詳しい研究はそれほど進んでいません。またそれらが活性を保つ、あるいは不活化する温度条件に関する研究発表も今のところ見当たりません。
HMF
HMF(ハイドロキシメチルフルフラール)は、糖や炭水化物が熱分解して生成される有機化合物で、加工食品にも家庭で調理された食事にも含まれる成分です。はちみつに関しては HMF が特に重視されます。はちみつは長期保存しても表面上の変化が現れ難い食品で、HMF が保存状態をトレースできる唯一の指標だからです。HMF の数値は mg/kg で表され、「温度×時間」に比例して上昇します。そのため、低温下では数値が上がらず,高温下では短期間で上昇します。(※表 1)
加熱による HMF の変化ははちみつの種類によりかなり違いがあり、酸性が強いほど多く産生されます。温度の影響は、50℃で 24 時間、または 60℃で 10 時間の加熱ではほとんど変化がなく、10℃以下では減少傾向が現れると言われます。(日本食品工業学会誌より)CODEX(国際食品規格委員会)は、はちみつの HMF 基準値を 40mg/kg 以下と定めています。(熱帯産のはちみつはその環境が考慮され 80mg/kg 以下になっています。)
HMF はかつて発がん性を疑う説があったものの、現在では公的機関(国立医薬品食品研究所・内閣府食品安全委員会)によって、その直接の関連性は否定されています。むしろ近年、その抗酸化・抗アレルギー作用のほか、高血圧や高血糖などの生活習慣病へ効果があるとする説が発表され、にわかに医学研究者の注目を集めています。
医学・薬学上の評価はさておき、はちみつの品質管理評価に関しては、HMF は最重要な指標物質です。「生はちみつ」販売業者にも、ぜひ触れてもらいたい物質です。
(※表1)保存期間・温度の違いによる HMF 産生の変化例
原産地国 | 保存期間 | 保存温度 | HMF (mg/kg) |
バングラデシュ | 1 年半以上 | 20〜25℃ | 31,5〜703,1 |
インド | フレッシュ | _ | 0,15〜1,70 |
マレーシア | 2 年以上 | 25〜30℃ | 986,57〜1131,76 |
トルコ | 1 年 | 20℃±5℃ | 8,60〜39,00 |
スイス | 7 年 | 4℃ | 0,00〜112,00 |
スペイン | 2 年 | −30℃ | 0,00〜1,60 |
アルゼンチン | 2 ヶ月 | 23±2℃ | 1,48〜34,08 |
オーストラリア | 2 年 | −18℃ | 1,30〜12,40 |
5-Hydromethylfrufral (HMF) levels in honey & other food products; effect on bees and human health.
はちみつの本当の価値とは?
古来より、病人、消化力の衰えた高齢者や子供の健康に良いとされ、近年はアスリートの活動中または活動後のエネルギー補給にも利用されています。なぜでしょうか?はちみつの主成分は果糖とブドウ糖で、ショ糖は 5%以下です。消化が必要なショ糖と異なり、胃腸へ負担をかけることなくそのまま体内に吸収されます。はちみつには微量のイソマルツロース(パラチノース=三井製糖登録製品名)と言う二糖類が含まれています。イソマルツロースはショ糖と同じ 4 キロカロリー/100g でありながら、吸収速度はショ糖の約 5 分の 1 と言われます。イソマルツロースには他の糖の吸収を送らせる働きもあり、はちみつが砂糖より低い GI 値(グリセミックインデックス=食後血糖上昇度を示す値)を示すことにも関係していると考えられています。糖尿病が国民病と呼ばれる今日、食品の GI 値は健康上非常に重要な指標になります。
GI 値が高い食品は急激な食後血糖値上昇を起こし、食後高血糖は、血管内皮の障害、インシュリンの過剰分泌による膵臓への負担、内蔵脂肪の蓄積と肥満を招きます。砂糖より低いとは言え、はちみつも GI 値の高い食品に分類され、過剰に摂取すれば当然血糖値を上げます。しかし好都合なことに、人にははちみつは同じ重量の砂糖の約 1.3 倍甘く感じられます。より少ない量で同じ「甘味感」を得られることで使用量が減り、結果的に砂糖よりも低カロリーで済むことになります。以上が果糖とブドウ糖が主成分のはちみつの基本的な栄養学的価値であり、その点では「生」であろうとなかろうと大きく変わることはありません。
はちみつのビン詰めと結晶はちみつの溶解
はちみつは糖類(果糖 30〜44%、ブドウ糖 25〜40%)が多く、水分は 20%以下であるため、微妙な均衡で液体の状態を保っています。そもそもブドウ糖は液体であることが安定の状態ではありません。アカシアなど果糖分が特に多い一部を除き、大半のはちみつは気温の低下と共に結晶します。国内で消費されるはちみつは年間約 4 万 5 千トンで、その内国産は 5〜7%に過ぎません。
輸入はちみつはふつう 300kg 入りのドラム缶で、国産であれば一斗缶(24kg 入り)に充填されて保存・流通します。その間に容器の中で結晶してしまったはちみつをビン詰めするには,まず含まれている夾雑物をろ過する必要があります。巣のかけらなど無害の物がほとんどです。しかし、はちみつは野外で採集される食品です。どんなに注意をしても、周囲の環境や使用器具に由来した異物が混入する可能性は、誰にも否定することはできません。はちみつが白く固まった状態では、濾過は勿論、これら異物を検知することさえ不可能です。このようにひとたび結晶したはちみつを最小限度の加熱で溶解することは、ビン詰めで小売り販売するためには欠かすことのできない処理工程となっています。これによってはちみつの栄養価値が大きく損なわれるとは考えられません。食品としての安全性・ビン詰めの利便性などのために最低限の加熱工程を経ているだけです。
結晶したはちみつを直火で加熱溶解する養蜂家は、今ほとんどいないと思われます。
サーモスタットで温度調節できる 2 重釜や浴槽、あるいは遠赤外線利用の溶解機器が普及して、推奨される温度(40〜45℃)で結晶を溶かす方法が定着しつつあります。海外ではペール缶やドラム缶を熱源で包む製品「Bee Blanket」も売られています。
結晶化を未然に防ぐ保存方法もあります。巣箱の中で幼虫が育つ温度は 35℃で、巣に貯えられたはちみつはこの環境では決して結晶しません。最も結晶しやすい温度帯は 10〜15℃で、25℃以上で保存すれば結晶しません。しかし、HMF は早く上昇します。そこでむしろ 10℃以下、あるいは零下で保存する養蜂家もあります。結晶は蜜蠟や花粉などの微粒子にブドウ糖が吸着することから始まります。低温ではちみつが粘性を増せば、分子の動きが止まり結晶し難くなるのです。同時に HMF の産生も抑制されます。
ところで、一部の販売業者の HP には、「結晶しないはちみつにはショ糖が多い」などと記述している例があります。もちろん間違いで,正しくは「ブドウ糖分が多いはちみつは結晶しやすく、果糖分の多いはちみつは結晶し難い」です。
はちみつは間違いなく液体の状態が使用に適しています。スプーンを使わずワンタッチで出せる容器もあります。
同じ種類のはちみつが加熱・非加熱に分けて店頭に並んでいると仮定すれば、多くの方が風味を考慮して非加熱のビンを手に取るでしょう。しかし、私ならそれを購入するとは限りません。使用目的、価格、結晶・非結晶の状態やそれに適した容器かどうかの判断なを含めて最終的な選択をすることになるでしょう。
最後に
「生はちみつ」販売戦略は、野球に例えて言えば、打率 3 割の選手だけを評価し、2 割 9分の選手を排除しようとするものです。打率は少々低くても、足が速い、守備が上手いなどの選手も存在して初めてチームは成り立ちます。はちみつも同じで、味・香り・色・結晶性・価格などの違いによって、それぞれ他のはちみつでは代えられない用途が定まっています。
我が国では年間約 4 万トンのはちみつが輸入され、全体の流通量の約 94%を占め、その半量近くが食品加工に向けられています。
一方家庭で 1 年間に消費されるはちみつは、一人当たり約 300g で世界的にもまだ低い水準にあります。生産者・販売業者を含む業界全体で消費促進のために協力すべきところを、一部とは言え、他のまじめな養蜂家を根拠もなく中傷する業者があることは残念です。これらの業者の説明が何も検証されることなく、販売実績で高評価され、さらに売れ行きを伸ばすネット販売システムそのものに、基本的な問題があるのかも知れません。
参考文献;
- The Honey Composition, Stefan Bogdanov; The Honey Book chapter 5.
*Honey chemical composition, stability and authenticity; Food Chemistry 2016 Apr.
*HMF levels in honey and other food products; effects on bees and human health;
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*Hearting honey – reviewing the power blanket honey warming bee blanket Bee Keep Club HP
*Topical application of honey for burn wound treatment;
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*The identification of inhibin, the antibacterial factor in honey, as hydrogen peroxide and it’s origin in a
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*はちみつの科学 越後多嘉志; Japan Society of Cooking Science
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*Glyceric acid products attributes, technical information.
*I heard people say if we dissolve honey in hot water, the nutrient level decreases.
Is it true and why is it? ; Quora
*What happens when honey is heated? ; Quora
*Nectar, sugar, HSFC & bees, In search of clarification or Better Yet,
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*Bee Concierge 養蜂家斉藤雄紀氏ブログ; 酵素の話⑴⑵
*At what temperature does honey have to be heated too, too destroy the health
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*Quality of Honey from Argentina; Study Chemical composition and Trace element.
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*加熱および貯蔵によるはちみつの品質変化;日本食品工業学会誌 第 20 巻 第 6 号 1973 年 6 月
*養蜂をめぐる情勢; 2018 年 11 月 農林水産省