ミツバチと獣医師とタイロシン
Find a Vet
2005 年頃からの世界的な蜂群崩壊現象は、ミツバチの農業への貢献を再認識させるきっかけになり、その原因究明に多くの昆虫学者が参画してきました。しかし、病理学・微生物学は本来医学・獣医学の一部でもあり,もっと早くから獣医師も加わるべきであったかも知れません。なぜならある病気に対して有効な薬剤があっても、獣医師免許のない研究者には処方できないケースも少なからずあるのです。
FDA 米国食品医薬品局は、ミツバチを食品生産動物として獣医師の診療対象に加え、2017 年 1月には他の家畜と共に VFD獣医療給餌規則を適用し、飼料添加用抗生物質の使用には 獣医師によ る所定の VFD 指示書または処方を義務づけました。 獣医療対象動物になれば薬剤処方は獣医療行為となる上、抗生剤は基本的に要指示薬です。しかし、実際には蜂病に知識のある獣医師は極めて少ないのが現実です。そこで AVMA全米獣医療協会は、獣医師がミツバチに関わる必要性を訴え、HVCミツバチ獣医師会を設立し、ミツバチを診療す る獣医師を紹介する「Find a Vet!」のサイトを開設しました。2017 年には全米で 278 名の獣医師が登録されています。AVMA はまた VCPR「養蜂家と獣医師との密接な関係の構築」が今後最も重 要であるとしています。 蜂病に関する獣医学教育を普及させる必要性は、今や世界の共通認識になっています。 フランスでは一部大学院において、院生や開業獣医師対象に養蜂とその衛生管理・蜂病診断・治 療学などの包括的な教育を始めた。2009 年、SNGTV フランス獣医療技術協会は、養蜂部会を設立し て蜂病の研修を受けた開業獣医師の参加を求めています。 EU では FVE欧州獣医師連盟が、2012 年から獣医学生と獣医師の教育を始めました。
我が国の獣医師とミツバチ
我が国の獣医師法と獣医療法は獣医師の資格・権限・義務・責任などを定め、獣医療対象になる動物の種類も細かく指定していながら、農水省の解釈ではミツバチは「その他の有用動物」に含まれるに過ぎず、当然、蜂病を講義する獣医学課程の大学も無ければ国家試験に出題されません。しかし、現実に法定伝染病の腐蛆病検査は,各府県の家畜保健衛生所の獣医師が行い、女王蜂の輸入検疫は動物検疫所の検疫官(獣医師)が担当します。(ちなみに農作物の害虫の検疫は植物検疫所の技官の職務になる。)
またアピスタン・アピバールは登録動物用医薬品で、「医薬品・医療機器等法」の適用を受け、これら医薬品の販売許認可等の監視には薬事監視員が当たり、その薬事監視員になるには、医師・歯科医師・薬剤師・獣医師のどれかの資格が必要になります。
このように獣医師はミツバチ衛生の実務に直接携わる有資格者でありながら、ミツバチが獣医療の明確な対象になっていないために、関連法律間の整合性に欠ける色々な矛盾が生じていいます。私は獣医師免許を持ち診療施設の届け出もしながら,その必要性には疑問を感じています。ミツバチは獣医師が診療すると言う明確な規定がなければ、法的には甲虫や鈴虫と同列であって、獣医師免許なしに誰でも診療できるからです。
実際には一部府県の家畜保健衛生所 HP などに、蜂病について丁寧な記述があり、動物用医薬品のアピスタンとアピバールによるダニ対策も示されています。しかし、単純な 2 種の駆除剤の交互使用では、すでに蔓延している耐性ダニの対策には不十分であると言う問題提起がされておらず、養蜂家が直面している現状に対応し切れていません。 現在、先進各国では獣医師を関与させるための法改正や教育改革が進められています。昆虫のミツバチは脊椎動物とは生理学・解剖学的に異なり、罹る病気も当然別です。
しかし、世界では昆虫病理学の研究が近年急速に進んでいます。病理学・微生物学などの基礎教養がある獣医学生には、蜂病の知識習得は難しい課題ではないはずです。
タイロシン
耐性菌が広がった OTC に代えて、アメリカ腐蛆病(以下 AFB)予防薬として、2005 年 10 月米国農務省はマクロライド系抗生剤タイロシンを承認しました。タイロシンは強い静菌力と比較的低い毒性の抗生物質として、広く家畜の飼料添加剤として使用されています。EFB 菌への効果については触れられていないが、有効と思われます。
2017 年、我が国でも農水省はタイラン(タイロシン)の承認事項変更を認め、牛・豚・鶏の外にミツバチを対象動物に加える決定しました。AFB 予防薬として 1999 年以来販売されてきたアピテン(ミロサマイシン)が製造中止になったためです。
米国やカナダでは獣医師の指示または処方のもと、ミツバチへのタイロシン使用が認められていますが、EU・ニュージーランドでは抗生剤はすべて禁止されています。
医療現場で耐性菌が深刻な問題となり、世界の抗生剤使用は規制強化されています。
2017 年、EMA欧州医薬庁と EFSA欧州食品安全局は、多剤耐性菌の蔓延は畜産の現場での抗生剤の乱用と密接な関係があると報告しました。
カナダでは OTC 耐性の AFB 陽性の場合以外のタイロシン投与は認められません。タイロシンには医療用の登録がないことで、医療に影響する耐性菌は現れ難いと判断されてミツバチへの使用が認められたのかも知れません。しかし、獣医師の指示なく使える承認は、世界の使用規制強化の流れの中では異例です。製造中止のアピテンに代わる薬剤の承認を急いだ結果であったようですが、獣医師がミツバチに関わる法律や教育制度が整っていないことに根本的な問題があると言えます。
しかし、OTC と異なり、タイロシンはよほど慎重に使用されなければなりません。
タイロシンはショ糖液の中と比べて、弱酸性の蜂蜜の中では約 2 倍安定し、特に低温の蜂蜜中ではほとんど分解が進まないのです。蜂群の温度 34℃では急速に水和化合物デスミコシン(タイロシン B)に変わるが、なお 85%の効力を保ち、より安定化します。
そのため半減するのに 100 日以上かかります。これが AFB に対しタイロシンが長期の静菌効果を保つ理由であり、OTC の静菌期間 4〜8 ヶ月に対してタイロシンは 1 年間、仮に発病群に投与すれば治癒し、翌年の再発をも防ぐと言われています。
しかし、これは同時にハチミツ中の残留リスクもより大きいことを意味します。
農水省は USDA米国農務省の「粉糖に混ぜる投与法」を、そのまま採用しました。 USDA はこの方法で基準値超えの残留は起きないことを試験によって証明しましたが、 採蜜方法が異なる我が国の養蜂に適用するには無理があったと思われます。 アピテンの「パテに薬剤を混ぜる方法」が定着していただけに、示された「粉糖混入法」には、 全国の養蜂家は困惑しました。残留への不安要素はさておいても、3 回/週の投与は、大群を飼育 する専業養蜂家は手間がかかりすぎると感じ、小規模の養蜂家は、0,2g の薬量をどう量るかと言 う現実的な問題に直面したのです。 ハチミツ中の MRLは、タイロシン A+デスミコシンの総和とされています。我が国の採蜜形態が考慮されず、4 万匹群を規準とした米国の投与量を適用した結果、予想どおり、MRL を超える残留事例が発したため、当初の0,2mg/kg から 0,7mg/lg まで基準値が緩和されたのです。ADI(Acceptable DailyIntake=1 日許容摂取量)を基本に厳密に決められるはずの MRL が、そんなに簡単に変えられるのかと言う新たな疑問が生じます。食品安全委員会のリスク評価はどうなっているでしょうか?
SHB(スモールハイブビートル)が存在する米国では、花粉・代用花粉パテが彼らに餌と隠れ場所を提供するとして勧められていません。しかし、これらに添加して投薬すれば、効果的でかつ貯蜜への残留リスクはまず無視できます。パテの大半は働蜂に直接摂取され、一部は巣房に運び込まれるがすぐに消費されます。一方野外で集められた花粉は一旦巣房に貯えられた後、孵化後 4〜8日齢の蜂児に蜂パンとして与えられます。いずれにしても花粉は働蜂に摂取されて、ローヤルゼリー分泌のための原料となります。
パテで育児バチ(6〜11 日齢の若蜂)の体内に吸収された抗生物質は、下咽頭腺に移行し、孵化後 3 日齢までの蜂児(1齢幼虫)にワーカーゼリーと共に与えられます。
AFB は孵化後 24 時間以内の 1 齢幼虫に感染する。したがって「パテ混入法」こそが、感染リスクの高い期間をカバーする最も安全で効果的な投与方法のはずです。
AAFC*カナダ農務農産食品省 Dr. Steve Pernal は、この方法によるタイロシン投与によって、十分な効果を保ちつつ蜂蜜中の残留を著しく減らすことを証明しています。また、シーズンの短いカナダの春に 3 週連続で投与した後に,さらに 1 ヶ月の休薬期間を設けることは事実上困難で,秋の投薬に限定すべきであると報告されています。
ミツバチ衛生への獣医師の役割
WOAH国際獣疫事務局(旧称OIE)は動物衛生に関わる重要機関で世界 180 カ国が加盟しています。 4 / 7 加盟各国に獣疫の発生情報を提供し、防疫対策を指示し、専門家派遣・学術会議開催などを主導し ます。同時に WTO 世界貿易機関の諮問機関として、安全かつ公正な動物及び動物製品の国際取引に 際して、参照すべき事項を指定するコード及び疾病診断法のマニュアルを提供します。WTO 加盟国 間に結ばれているSPS協定は、自国産業保護を意図するような不当な非関税障壁を除くために、加盟国に検疫や食品の安全性に関する公平で科学的な輸入条件の提示義務を課しています。ミツバチには陸棲動物コードが適用され、女王蜂輸出入検疫についても WOAH の蜂病専門委員会がその指 針を示します。蜂病委員会は 12 年前から APIMONDIA(2 年に 1 回)に合わせて蜂病対策のシンポジウムを開いていていますが、残念ながら現在まで我が国からの参加者は、2011 年ブエノスアイレスの私と、2019 年モントリオールの日大獣医学部学生、鈴木雅子(現農水省技官)さんの二人だけです。
我が国では、ミツバチ衛生は農水省消費安全局動物衛生課が所管し、獣医師の技官が担当します。研究部門には農研機構・畜産草地研究所や動物衛生研究所があります。しかし、蜂病については、農水省の役割が十分に果たされていないように思えます。
我が国は、2 種の異なる「腐蛆病」がまとめて 1 種の法定伝染病に指定されている唯一の国です。また、ヘギイタダニをはじめすべての常在性の疾病が届出伝染病とされていて、女王蜂の輸入に際してはそのすべてが検疫対象にされています。しかし、SPS 協定のルールでは、特別な根絶計画も無い限り、常在性の疾病は検疫監視対象から外されなければなりません。(英国は 1970 年代へギイタダニに厳しい輸入検疫体制を敷いていたが、1992 年に自国内での蔓延確認後は、届け出伝染病のリストから除外した。)
一方、我が国の家畜伝染病予防法の監視伝染病リストには、常在性の病気や寄生ダニが依然として残る一方で、世界が警戒している危険生物の名前が見当たりません。他でもないスモールハイブビートル=SHB(Aethena tumida)と熱帯アジア原産の 2 種のミツバチトゲダニ Tropilaelaps mercedesae, T.clareae)のことです。トゲダニは多産で生育も早く、ミツバチの繁殖期には爆発的に増えます。しかし、成蜂から吸血する能力がないため、羽化した蜂の体についている雌ダニは 2 日以内に蜂児の巣房に再侵入しなければ死んでしまいます。したがって正規の女王蜂輸入では,梱包・輸送・検疫繋留の間(最短で 4日間)に侵入リスクは消滅します。問題は不法持ち込みです。冬に女王蜂の産卵が止まる寒冷地では問題ないと思われていたが、1993 年に侵入した韓国では、その後数年間で国内の 60%の蜂群が失われました。
SHB については、輸出国との輸送用容器に関する取り決めによって女王の輸入による侵入は回避されています。しかし、動物検疫の対象ではない果物や木材に紛れ込んで侵入する恐れは残ります。世界各地に飛び火して生息域を拡大してきた両者が、もし彼らの生息適地である沖縄など亜熱帯地域に侵入すれば、深刻な事態を招くことでしょう。
15 年ほど前に、関西空港に中国産の女王蜂を持ち込もうとした養蜂業者が摘発されたことがありました。知識の無かった業者はそれ以前にも複数回持ち込み,自らの蜂群に導入していました。
検疫当局にトゲダニの危険性の認識があれば、彼が飼育する全蜂群の殺処分を命じたかも知れないが、実際には何の処置もとられませんでした。その後にトゲダニの発生がなかったのは、ただ幸運であったとしか言えません。
一方、国内ですでに 2009 年の名古屋大・畜草研の全国調査で 64%の蜂群に寄生が確認されているノゼマ(新型 Nosema ceranae)については、世界で唯一日本だけが検疫対象にしています。実際に弊社は 2018 年、スロベニアから輸入した 500 頭の女王バチの内、動物検疫所の顕微鏡検査で半数が殺処分を命じられました。検疫官にとっては法定の検査でやむを得ないとは言え、このような検疫が存在する一方で、重大な疾病が無視されているのが我が国のミツバチ検疫の現状です。
ミツバチトゲダニ分布図
SHB(スモールハイブビートル)分布図
(注) VFD; Veterinary Feed Directive, AVMA; American Veterinary Medical Association
Vet; Veterinarian獣医師, HVC; Honeybee Veterinary Consortium FVE ; Federation of the Veterinarians of Europe, VCPR; The Veterinarian-Client-Patient Relationship EMA; European Medicines Agency, EFSA; European Food Safety Authority AFC; Agriculture, Agri-food Canada, MRL*; Maximum Residual Limit
WOAH; World Organization for Animal Health, 陸棲動物コード; Terrestrial Animal Health Code
SPS協定; Sanitary and Phytosanitary Agreement動植物衛生協定
APIMONDIA; International Apicultural Congress 国際養蜂協会連合総会
(参照文献)
*Laboratory and field studies of the effect of the antibiotic Tylosin on honey bee Apis mellifera.,:
Development and Prevention of American foulbrood. Journal of invertebrate pathology 1996 January;
*Comparative study of Tylosin, Erythromycin and Oxy-tetracycline to control American foulbrood of
honeybees.: Journal of Apicultural Research 1999, volume 38
*Efficacy of Lincomycine and Tylosin in controlling American foul brood in honeybee colonies.; Journal of Apicultural Research 2005, volume 45
*Control of Oxy-tetracycline-resistant American foul brood with Tylosin and its toxicity to honey bees.
PhpBB, Honeybee world, :Beekeeping discussion forum
*Stability of Tylosin in honey,Impact on residue analysis,:
Alberta Agriculture food and Rural development, Food safety division, Don Noot Thompson,
*Study of the depretion of tylosin residues in honey extracted from treated honeybee ( Apis
mellifera)colonies and the effect of the shock swarm procedure; ;Apidologie38(2007)
*Degradation of tylosin residues in honey: Journal of Apicultural Research, 43(2)65-68, January 2004
*Stability of tylosin in honey at elevated temperatures.: Journal of Apicultural Research, June 2006
*Analysis of oxytetracycline in extender patties.: Apidologie, July 2000
*Ecology, life history and management of Tropilaelaps mites,: Journal of economic entomology 2017 May, vol 110
*General introductory text providing background information for the chapters of the Terrestrial Animal health Code on
disease of bees. OIE
*Prevention and reproduction of Tropilaelaps mercedesae and Varroa destructor in concurrently infested Apis mellifera
colonies:. Apidologie 2015、
*Get to know Tropilaelaps mites, another serious parasite of honeybees. ; Entomology Today, April 2017, the latest
news about entomology brought to you by the entomology society of America